2013年10月29日火曜日

鬼の博物館

京都府の『鬼の交流博物館』に行ってきた。







当日は友人の運転する車で、朝7時に出発。
片道120kmくらいだけど、日曜日で渋滞気味だったこともあって、
行きは3時間、帰りは4時間ぐらいかかった。


車で国道9号線をずっと、ずっと北上していく。

山、山、山。
畑、畑、畑。

「のどかだね」「超のどかだよね」「逆にやばいよね」

ぐらいの感想しか出てこない。
道中の写真とか一切撮らなかった。


120km走ってようやく目的の福知山市、大江町に入った。


昼間から一杯やってる


「あっ鬼」「鬼だ」「鬼いるね」

こういうやつがチョイチョイ出てきて「鬼の里』気分を盛り上げてくれる。


ファニーボーイ


ちなみに青いやつは「呑鬼」、赤いほうは「遊鬼」というらしい。
この2匹は他にも町のいろんなとこにポツポツといた。




そう、大江町は「鬼の里」なのだ。
なんか大江山に昔から「酒呑童子」の伝説が残ってるとこからきてるらしい。

そんで「鬼っつったら鬼瓦じゃん」って鬼瓦を推している町でもある。


「鬼瓦」っていうのはアレです、
日本家屋の屋根瓦のはしっこについてる、鬼の顔の瓦のことです。


こういうやつ、瓦でいうキメ顔みたいなやつです


「鬼瓦」なのでもちろん鬼の顔が多いんだけど、
別に鬼じゃなくても、ああいう瓦を指してざっくり「鬼瓦」って呼ぶらしい。

「鬼じゃない鬼瓦ってどんなんがあるの」って思った人は、こちらの記事をどうぞ。
いろんな鬼瓦とか、その変遷の歴史が書かれててすごくおもしろい記事です。


で、そんな感じの「鬼と鬼瓦の町」大江町にやってきた。



マンホールとかもこんなん


目的は、鬼の歴史を知れる『鬼の交流博物館』、

そして、その傍らに鎮座するという、5mの超巨大鬼瓦だ。
さっきの写真の「鬼瓦」の5mバージョンと考えたらヤバい。
もちろん日本一のサイズだそうだ。


大江町を流れる由良川沿いをしばらく走ると、
山の中に目的地である『日本の鬼の交流博物館』が見えてきた。

右手の駐車場に入ろうとスピードを緩めると、逆側、左方向に何か見えた。



えっ、何。

「今の何」「山伏?」「いっぱいいたよね」
「あれ鬼かな」「違うでしょ」「じゃあ何」


一旦駐車場に車を停めて、さっきの場所まで戻る。




わっ何これ、わかんない。



逆サイドに回るとこの像を解説する看板があって、
「大江山にむかう頼光たち」と書いてあった。

大江山に語り継がれる「酒呑童子」という鬼、
それを討伐したのが源頼光なのだそうだ。


当時の武将だった源頼光は臣下を引き連れて大江山へと向かう。

その際、山伏の姿に変装して油断させ、
酒呑童子に毒の酒を呑ませ、動けなくなったところで首を切り落としたらしい。




ズル過ぎるだろ、と思ったけど酒呑童子、首だけでもめっちゃデカくてヤバい、
これ人間がまともに戦って勝てる相手じゃないっぽい




「えっめっちゃ敵じゃん」「いきなり仇の銅像じゃん」
「なんなの」「鬼気分ぶち壊しじゃん」
とそのときは言っていたけれど、酒呑童子は、多くの鬼を従え、
京都の若い姫君をさらっては生きたまま食べちゃう、ヤバい鬼だったらしい。

そんな鬼を退治した頼光はこの地の人たちにはヒーローなのかな。


ちなみにこのときの臣下たちは「頼光四天王」とも呼ばれ、
その中には坂田公時(昔話の「金太郎」)もいたそうだ。


このへんは後日調べたことだけど、
「酒呑童子」の伝説は
もとは大江山にいた山賊の悪行を語った話だったという説があるらしい。

また別の説では、
当時猛威を奮っていた天然痘の脅威が「酒呑童子」伝説となったのでは、
と提唱する歴史家もいるそうだ。


このあともいろいろ見てくんだけど、
「鬼」、なんか人の畏怖の対象が変化したモノっぽい。



『鬼の博物館』のすぐ上にはキャンプ場を兼ねた宿泊施設があって、
そこの管理人のおじさんがすごく親切な人で、
鬼の歴史についていろいろ教えてくれた。


宿泊施設では「鬼瓦制作体験会」というドープなイベントもやってるそうだ





*一番古い「鬼」というのはこの地に暮らす人々でした
 朝廷側とは違う文化を持っていたので敵とされ、
 また、高い工芸技術に目をつけられ、奪われたんですね 

*当然彼らも侵略されるままではなく、散り散りになりながらも反撃します 
 いわばゲリラ戦ですよね

*「鬼」という語には昔は「見えないもの」への恐怖がこめられていたそうです
 「鬼」の字にはカタカナの「ム」が入っていますよね
 これは「無」、つまり「見えないモノ」を意味します 

*大江山には3つの鬼退治伝説が残っています
 古くは土着の人々だったり、
また山賊だったともいわれてますが、
 どれも元は権力側に滅ぼされた者たちが、
 権力者から「鬼」と蔑まれたものだったそうです




酒呑童子は首を切られる前に「鬼に横道なきものを!」と頼光たちを罵ったそうだ。

「鬼だって騙し討ちとか、毒を飲ませるとか、そんな卑怯なことはしねえよ!」

という意味の言葉らしくて、それを聞いたときは「いや鬼だろ」と思ったのだけど、
これ、一方的に逆賊扱いされて討たれた人々の無念、とかがこめられてるのかな



この話はおじさんが口語で話してくれたのを、うろ覚えで思い出しながら書いてるので、
正確性はかなりアレだし、伝承的にも怪しいと思うけど、おもしろい話だった。




そういう視点は『鬼の交流博物館』全体にもあるそう。

「暮らしの中の鬼」
「鬼とは人々の中でどういう存在だったのか」
ということが語られているそうだ。

博物館自体の名前も、
『鬼の博物館』だけでもいいところを
『鬼の交流博物館』と名づけたのはそういう考えからなのだろう。


正直「5mの鬼瓦」が見たい、ってだけで、
『鬼の博物館』にはあんまし興味なかったんだけど、俄然興味が湧いてきた。



続きます